白頭爺・檜山

檜山正幸 (HIYAMA Masayuki)
Mon Jan 24 2005:start
Mon Jan 24 2005:prefinal

僕は白髪頭だ。遺伝的に20代から白かったので、かつては若白髪だったのだ が、今は年相応の白髪頭ということになってしまった。頭頂部だけは茶色に染 めている(側頭部はそのまま)。美容師さんにしてみれば、手間がかかるのに 金を取れない(染める面積が狭いので)という最悪のカラーリングをしている。 妻も、「往生際が悪く、中途半端でたいへんによくない」と批判的である。…… などと、なんで白髪の話をしたかというと、以下の話の予備知識(?)となるか らである。

大森英樹先生が最近の著書(*注1)のなかで、自分のことを「半死白頭翁の私」 とちょっと自虐的に呼んでいらっしゃる。白頭翁 -- なるほど、そんな言葉が あるのか、と感心した(*注2)。僕も真似して「半死白頭翁の私」という一人称 を使おうかと思ったが、「翁」の文字がちょっと気になる。僕の単なる思い込 みに過ぎないが、「翁」(おう、おきな)はどことなく気品があるおじいさ んという感じがする。品性下劣なジジイである僕は、爺(や、じい)がふさわ しかろう。で、白頭爺(はくとうや)を自称することにした。つまり、「瀕死 白頭爺(ひんしはくとうや)の私」を使いたい。

注1

大森英樹『数学の中の物理学』(東京大学出版会, 2004)

注2

ハクトウオウという薬草もあるらしい。

ところで、大森先生は上記の著書の最後に、次のように書いておられる。

鋭い感性を持っている若者を私は頼りにしたい、そういう若者に囲まれて 自分の生涯を閉じることが私の理想でもある。

僕には、もちろん学生も弟子もいないし、知り合いの若者もあまりいないか ら、「若者に囲まれる」なんてことはもとよりあり得ない。まー、ひとりで野 垂れ死にするのがオチだろう。だが、「鋭い感性を持っている若者を私は頼り にしたい」気持ちはある。

そもそも、Chimairaサイトに記事を書き始めた背景には、自分が年取ってし まったという事実がある。思い付きはしても、自分で実行することはとうてい 無理だということが多い。僕には気力も体力もないし、残された時間もなさそ うだ(実は「今にも死にそう」は大げさではあるが)。せめて出来ることは、 思い付きを書き留めておくことくらい。それが役に立つかどうかは分からない が、「鋭い感性を持っている若者」の目にとまって、彼/彼女を触発したり示 唆を与えることがあるかもしれない、と少しの期待は抱いている。