隗より始めよ

檜山正幸 (HIYAMA Masayuki)
Thu Feb 03 2005:start
Thu Feb 03 2005:draft

目次

1. はじめに

このサイトを見た知人(複数)の反応として、「なんでおまえは、こんなこ とを始めたんだ?」と疑問を呈するものがある。けっこう色々な要因が絡んで いるので、理由や事情を簡単に説明するのは難しい。いくつかの記事に分けて、 ボチボチと話していくしかないだろう。まずは、この記事から。

2. 諺の解釈

「隗(かい)より始めよ」という諺がある。むかーしの中国のオハナシに由 来する言葉で、その解釈はいろいろあるだろう。僕の解釈は下のノートに書い てある。

NOTE: 郭隗と昭王

郭隗(かくかい)とかいうインテリ崩れは実に嫌らしい奴で、王様にうまい こと言って、たいしたことをしなくても高額の報酬が得られるようなコンサル ティング契約を結んでしまったのである -- その事情は以下のとおり:ただし、 この話は檜山が脚色しているので、まともに信用しないこと。

燕(えん)という国の、頭はいいが世間ずれしてない王様昭王が、郭隗に相談 した。「ウチの国もだいぶ傾いちゃってさ、このままじゃやばいと思うんだよ。 優秀なブレインを揃えて再建プロジェクトを始めたいんだけどさ、いまどき、 優秀な人間を集めるのもなかなか大変でさー。」

郭隗は答えた。「王様、まずはこの隗メを高額で雇ってください。わたくし、 実はたいしたことはできない無能者でございます。その隗が高額で雇われたと 伝われば、『だったら、俺なんかもっといい報酬をもらえるに違いない』と、 欲の皮の突っ張ったコンサルタントが大挙して押し寄せるに違いありません。 その中からデキのいい奴を選べばいいわけですよ、王様。」隗はさらにこう付 け加えた。「そうやって優秀なブレインが集まっても、この隗メをクビにした らだめですぜ、王様。そういうことすると、『王様は情のない冷酷な指導者だ』 と評判が立って、みんな離れて行ってしまうでしょうから。」

と、隗はまんまと昭王をたぶらかして、「わたしなんか無能だ、なにもでき ない」を看板にしながらも高額の報酬を得る立場を手に入れたのである。実際、 郭隗が優秀な戦略家であったのは確かで、自分にもっとも都合のよい戦略を立 案実施したわけだ。コンサルタントで食っていきたいなら、この程度の悪知恵 は働かせるべし、という教訓であろう。

だが、「隗より始めよ」を非常に健全、異常に前向きに解釈すると、「他人 をけしかけたり、他人の力を借りたいなら、まずは自分で出来ることから始め よ」となったりもする。こういう解釈は、もともとの故事からして曲解だと僕 は思うのだが、かつてある人に僕が説教されたとき、その説教をした人は、 「隗より始めよ」を健全・前向きな解釈に基づいて引き合いに出していた。 「おまえも要領よく立ち回れ」というような意味では決してなく、「他人に頼 る前に、自分で動け」というような説教だったわけだ。

僕に説教をしたその人を、僕はとても好きだったので、「あのちょっと、そ れって違うんじゃないですか」とは言えなかった。むしろ、「隗より始めよ」 の健全/前向きな解釈のほうが、僕の頭に刷り込まれてしまった感じがある。 僕の理性は、この諺をシニカルな処世訓と受け取るが、僕の感性は、この諺を ポジティブな励ましの言葉のように受け止める。

3. 僕の諦念とささやかな喜び

どうも諺の話が長くなった。で結局、僕は健全/前向き版「隗より始めよ」 に従った行動をしているのかというと、そういうことでは全然なくて、シニカ ル版「隗より始めよ」を参考にして行動するのだが、たいてい何故か失敗して しまうのである。

今回(Chimaira.org)にしても、なんとか自分に都合がよくなるように風向 きを変えたい下心があるのだけど、僕自身は骨折り損のくたびれもうけで、妙 なところで評価されたり感謝されたりするのがオチではないかと、前もって結 末を予想したりしている。

こんな暗い(少なくともバラ色ではない)予想をするのは、今まで常にこの パターンを繰り返してきて、もはや宿命なのかもしれないという諦念があるか らだ。それでも僕は懲りてない、とも言える。それというのも、「妙なところ で評価されたり感謝されたりする」のも、悪い話ではないな、と思ったりする からだ。

正直言って、みかえりが欲しいし、「オレがオレが」の自己主張もしたい。だ が、「妙なところで評価されたり感謝されたりする」だけでも、自分に存在意 義があった/あるのかもしれないと確認して、ささやかな喜びを味わえる。

4. はるか彼方の実装

感傷的な話はやめて、もっと実質的なことも話そう。「Chimairaサイトは将 来的に開発サイトになるのか?」という質問がある。端的に言って、 そんな予定はありません。

「アーキテクチャ」なんて言葉を使うと、実装が想定されていると解釈され るだろうし、僕が実装を考えてないなんてことはない(二重否定で分かりにく かった)。しかし、すぐさま動作するソフトウェアとして結実するとは考えに くい。

Chimairaサイト内に蓄積された文書を「記事」と呼んでいるのは、実際、雑 誌の記事などと同じスタイルで書いているからだ。このような、能書きをたれ たり雑談が混じったスタイルの書き物から、実装のベースとなるほどの概念を 抽出するのは容易なことではない。そもそも、抽出すべきエッセンスが存在し ている保証もない。

では、「記事」のようなスタイルで書き散らすのが無意味なのか、と言えば、 そうは思ってない(だから、やっているのだ)。確かに、実装のために準拠/ 参照すべき基準としては、厳密な仕様書や技術解説書が必要だろうが、それだ けでは技術の本質は伝わらないと思うのだ。つまり、詳細さや具体性だけでは なく、精神や原理を伝える手段も必要だろう。

多くの場合、精神や原理は、暗黙のコミュニケーションのなかで(いわば文 化として)醸成され鍛錬されて、明示的には表現されないままに終わる。後知 恵で、「これは、こういう精神と原理を持つ」と誰かが推測し、それに説得力 があれば定着する。僕は、「暗黙のコミュニケーションによる醸成と鍛錬」の 効率性をよく知っている。が、今回に限り、楽屋裏も含めて全部さらけ出すと どうなるか、と試してみたい。

「全部さらけ出す」という点では“明示的”(あからさま、露骨)だが、こ れは、「明確である」とか、「曖昧性がない」とかではない。むしろ、思考過 程も含めてさらけ出すと、混乱と錯誤も含まれることになる。そんなモニャモ ニャゴシャゴシャを、仕様や実装にまでつなげるほどに奇特な人がもし出現す るなら、それは「ささやかな喜び」ではなくて「おおいなる喜び」となるだろ う。

5. Chimairaの使い道

Chimairaを誰がどんな形で使おうと(使えるものなら、だけど)かまわない。 僕自身の動機と目的はXMLだが、XMLと何の関係もない用途で何か役に立てば、 それはとても素晴らしいことだ。

僕は、「はるか彼方の実装」を漠然と思い描いているが、必ずしも実装につ なげなくてもいいだろう。たとえば、「コンポネント」という言葉を広義に解 釈すれば、「なんらかの意味でのソフトウェア的な塊、単位」である。だから、 そのような塊/単位の設計に対して、概念的なヒントを与えるかもしれない (与えないかもしれない)。

また僕自身は、一般的/汎用的な基盤としてのアーキテクチャ/実装をほと んど目的にしていない。OSもプログラミング言語も通信方式にも依存しない技 術的基盤なんてほんとに出来るのだろうか? ほんとに必要だろうか? と疑問 を感じるからだ。むしろ、なにか特定のシステム/アプリケーションを作ると きにChimaira的な発想が有効だと思うなら、システム/アプリケーション ごとのChimaira実装で済ましてもイイジャナイカ、と思っている。が、だから といって、相互運用性や再利用性を高める試みを否定するものではない。

いずれにしても僕は、曖昧性/混乱/錯誤が含まれるのは大目にみてもらい、 あからさま/露骨に精神や原理が伝わる(ことを意図/希望している)表現媒 体としてChimairaサイトを使いたい。

まー、とどのつまりは、「他人をけしかけたり、他人の力を借りたいなら、 まずは自分で出来ることから始めよ」という、健全/前向き版「隗より始めよ」 を実行しちゃうことになるのかも。(ため息)