コラム: 先達の示唆に形を与えられるか

檜山 正幸
Fri Mar 23 2001

この記事は、月刊『JavaWorld』誌(IDGジャパン)連載「XMLボキャブラリ の理論と実践」第1回(2001年)に付属のコラム(本文外)原稿である。

筆者の立場は、

  1. 多数のボキャブラリを同時に考え、それらの相互関係に注目する。
  2. 取り扱いがたい複雑性を認めたうえで、現実的有効性を持つ単純化を探 す。
と要約できる。なぜこのような立場をとるかには、現象からの動機と、確信に 到った状況証拠がいくつもある。それらの現象は、本編の素材として取り上げ ていく事として、このコラムでは、筆者の私的モチベーションを述べよう。

かつて、SGMLのさまざまな欠点に失望・落胆した筆者は、XMLにおいて、SGMLの 多くの機能が削り落とされたことに「せいせいした」と快哉を叫んだ(ま だ余分なものが含まれていると思っているが)。その一方で、SGMLや HyTime(SGMLの姉妹規格のようなもの)のなかで曖昧に示唆された概念に、形を 与えられないか、とも思うのだ。

たとえば、HyTime(*注1)で導入された「文書アーキテクチャ」という概念には今だ に魅力を感じる。HyTimeが定義(?)する「文書アーキテクチャ」とそれに関連 する概念・用語は腹立たしいほどに不明瞭なのだが、なにかしらの真実を含む ように思える。そう思っても、現状は曖昧過ぎて評価不能だから、まずは徹底 的な明確化が必要だ。(明確にしたら、実は役立たずだったと判明する可能性 もあるが、筆者はそうではないと信じている。) HyTimeにおいて(その他の著作物で も)、説明もなく使われている「メタ」とか「タイプ」とかいう、いわくありげな言 葉に、合理的かつ明晰な定義を与えなくてはならない。あるいは、思考停止を誘発する 「メタ」やら「タイプ」やらは一切使わない説明が必要だ。

さて、冒頭に挙げた「多数のボキャブラリの相互関係に注目」「複雑性を認 めて単純化を探す」というモットーだが、これは、HyTimeなどが示唆する世界 観の、筆者なりの解釈であり言い換えである。SGMLやHyTimeの当事者は、直感 により何かを捉えかけていたが、1980年代、90年代初頭では、それに形を与え るだけの環境が整っていなかったのだろう。XMLという形でマークアップ技術 のシェープアップを終えた今、“贅肉ではない筋肉”を新たにビルドアップできる 時期がきた。シェープアップ後のビルドアップで得られた新しい力をもって すれば、かつては捉えきれなかった概念と手法を、混沌の闇の中から取り 出せるかもしれない。

注1

ISO規格がWeb上ではさっぱり尊重されていない大きな原因として、高価な紙文書でし か仕様が配布されていない点があげられる。だが「HyTime」は、ISO/IECの規格で あるにもかかわらず、なんと驚くべきことに、仕様書の全文をWeb上で読むこ とができる。http://www.ornl.gov/sgml/wg8/docs/n1920/html/is10744r.htmlを参照。